熱い三流かしわぎの人生ブログ

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3月11日。コミティアから1か月経って~名前の知らない君へ

こんばんは、柏木です。

コミティアから1か月経ちました。

ありがたいことに、あの後も、『もう、生きてゆかれません』の評判は良く、新たにツイッターでフォローしてくださったり、ありがたい感想のメッセージをいただいたりした。

自分の心が誰かの心に届くって、ホント奇跡みたいもので。

生きていてよかった、そんなふうに思いました。

 

最近なんだか思うのです。

ずっと僕はひとりで生きてきたし、ひとりで生きているつもりだった。

でも。でもね。

見てくれていた人はいたし、

もっと自分から人に心を開いていこうかなと。

 

今は柏木優成という名前だけれど、この名前じゃない僕が存在していたときもあった。

今もあんまり変わってないけど、なんというかもっと人が嫌いだったし、ダメなやつだったと思う。今もあんまり変わってないけど。

ブログとかツイートとか好きです、って言ってくれる人もいた。

ありがとうと言いながら

「いやいやいや、僕なんかよりもっと好きなものあるんでしょどうせ」なんて思っていたし、そんなのどうせあれでしょ、正月にだけ会う親戚のおじさんよりは好き、レベルの好きなんだろうと思ってた。

誰かにとって特別な存在ではないのだ。

いてもいなくても同じか、せいぜい、いてもいいレベルの存在なのだと。

それが悔しかったし、むかついた。人が嫌いだった。

そして自分が嫌いだった。でも自分のことは好きだった。

そんな矛盾も苦しかった。

だから捨てたんだ。名前を。全部。

しばらくして、僕は柏木優成として世界の片隅で生きていた。

誰も知らないこの場所で、新しい名前で、

違う自分になろうと思ったけど、でもなんか無理だった。

所詮、僕は、僕だ。

ひっそりと、元いた場所に戻ってみた。

柏木優成として、こっそり戻ってみた。

もういなくなってしまった人もいた。

でも、覚えていてくれた人もいた。

ツイッターなんかも何回か辞めたり、復活したりしてきたんだ。

その度にさ、「この人たちはどうせ僕のことなんて忘れていて、僕の知らないところで、幸せな人生を送っているんだろうな」

なんて思っていた。

ホント、どうしようもないやつだ。

でも、覚えていてくれた人もいたんだ。

ブログを読んでくれていたとか。

すごくうれしかった。同時に、自分が恥ずかしくて、情けなくなったんだ。

人を信じていなかったのは、僕を信じていなかったのは、僕だったんだ。

情けなくなった。

コミティアも、僕が柏木優成となってから出会った人が来てくれたり、僕が柏木優成となる前から知っていた人も来てくれた。

あそこでまったく初めて出会ってくれた人もいた。

ありがとう、なんて素直に言えない、ひねくれた人間だけど。

少しずつ、わかってきたな。「ありがとうって言いましょう」「感謝は大切」とか人に押しつけられるんじゃなくて、自然に「ありがとう」って言いたくなる気持ちが。

それも、君の、あなたの、おかげです。

それはきっと、ありがとうって自然に言いたくなる相手ができたってことだから。

君に、あなたに、ありがとう。

まだうまく言えないかな。

 

柏木優成として、短歌をやったり本を作ったりして、柏木さんと呼んでくれる人も現れるようになって、すごくうれしいんだ。

この名前は新しく生きるため想いを込めて、僕が選んだ名前なんだ。

ようやく名前に実体が形成されてきた気がする。

僕がダメだったことも、嫌だったこともあるけど、あまり悲しくはないんだ。

昔よりは。

 

もしかしたら、柏木優成となった僕を知らなくて、「あの人どうなったんだろう」なんて思ってくれている人もいるかもしれない。

ごめんね。

でも、きっとまた出会えるさ。僕が探し出すよ。確証はできないけど。

 

2011年の3月11日。

あの頃、僕は仙台で大学生をしていた。

今よりもずっと孤独だった。

ロードバイクでいつも走っていた海岸線を見に行った。

何もなくなっていた。

ひとりで海を見ていた。

 

あの頃の僕へ、柏木優成から。

君が思い描いていた大人にはなれていないかもしれない。

基本的に君は君のまま変わっていない。

でもね。

君の本とか、短歌とか、いいですねって、言ってくれる人もいるんだ。

君の思ってた、誰かの特別にはなれていないかもしれない。

でもね。

そう言ってくれる人がいるんだ。そう思ってくれる人がいるんだ。

今の僕ができていないことを、君に言うのもどうかって気がするけど。

人に心を開いてみても、きっと大丈夫さ。

素直なありがとうも、言えるようになるよ。

きっと。

 

こんなふうに、少しは良い方向に向かってきたかもしれないと思うのです。

人間的に。状況的には、嫌なことや辛いこと、悩むことや困ったことは、たくさん有るけど。

それでもまだ、生きていけそうだ。

 

それでは、また。